先日の「やるまい会東京公演」では『瓜盗人』のシテをいたしました。『千鳥』ほどではないにしろ、よくしゃべって動き続ける役で、なかなかくたびれました。
さて、お客様から「最後がわかりにくかった。マヌケでお人よしの瓜泥棒の話に、鬼やらいの習俗を接いだものか」とご質問をいただきました。
私からチケットをご購入くださったかたには、簡単な解説をお付けしたのですが、紙幅の都合もあり「祭の練習」としか書かず、また、セリフのなかでも一度説明するだけだったので、確かに理解しにくかったかなと思いました。そのセリフはこうです。
「当年は、それがしが祇園会の当に相当たった。いずれもが仰るには、当年の山は、鬼が罪人を責むるところを拵えて出そうと仰る。振りくじの事なれば、それがしが鬼になるまいものでもない。幸いの事じゃ、案山子を罪人にして、ひと責めせめて、責め落とそうと存ずる。」
瓜が出来始めるちょうど今ごろは、京都が祇園祭の準備に動き始めるころ。狂言の話が多く作られた時代は、現在とちがってまだ山鉾の形が固定されていず、町によっては毎年違う趣向のものを作っていたようです。
この男の町では「今年は地獄の鬼が罪人(亡者)を責める場面を作ろう」という話になったそうで、ことし当屋の順番が回ってきたこの男も、自分がこっそり忍び込んだ盗人という立場も忘れて、張り切って稽古を始めてしまう、ということなのです。
「祇園会で、鬼が罪人を責める山にする」というのは、『鬮罪人』という狂言にもある設定です。狂言を見慣れている人なら多少おなじみの設定で、そのために少し解説が足りなかったなと反省しております。
ご質問にあった「鬼やらい」というのは、今では節分の豆まきになっている、大晦日に鬼を追い払う儀式です。
狂言で鬼の話は数多くあり、それなりに恐れられてはいるものの、いつも笑いの対象にされていて、いったい昔の人は鬼を信じておそれていたのか、それとも信じていなかったのだろうかとふしぎに思えます。
考えてみますと、大豆ごときで追い払えることにしてしまうのも、なんとなく狂言と通じているようにも思えます。また反対に「鬼をわらう狂言を上演する」ということも、もしかすると「鬼やらい」的行為の一種であったのかもしれませんね。